蝉 3

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 「幼虫として土の中でじっとしてる時、蝉はよもや自分が空を飛べるようになるとは思ってないんだろうなって。」
 
土屋先生は、一通り「キングデラ」の説明をした後で、屋敷の前の1本のベリ−Aを指差して、「この樹は、10年以上無肥料で栽培している。樹勢は剪定で調節し収量も欲をかかなければ品質も安定している。肥料をやらず樹冠を拡大させなくても栽培は十分にできるのだ。」と仰ったのです。
これには衝撃を受けすごく驚きました。土屋先生は、ご自身がかかれた本と全く違うことを言っていたのです。そして、その話の内容は私が何年か掛けてようやくたどり着いた結論そのものだったからです。密植強剪定を批判し、疎植大木主義を唱えていた本人の最終的な結論が私の唱える「少肥適性樹勢栽培」だったのですから。
樹冠を拡大する事が目的となるのではなく、樹勢のバランスを重視し、窒素を少なく施せばその土地に合った栽植本数は、あとから決定されるべきです。10ア-ル当たり何本植え付けると決めつけるのではなく、徐々に栽植本数を減らせばよいのです。

剪定に対する考え方も同じように型にはめるところがあります。試行錯誤した結果に基づかずというかそもそも樹勢を強める栽培をしながら、剪定だけをコンパクトに仕上げれば樹勢が強まるのは当然です。T/R比を全く無視した栽培は、強剪定になるので3年目から一挙に樹勢が強まります。「垣根栽培3年限界説」ともいわれる状態にはなるのは、それなりの根拠があります。

剪定の一番の目的がなんなのか理解していれば、あえて形を崩しながら3年かけて樹形を変えることも可能になります。垣根栽培は剪定後が一番美しいのではいけないのです。最初から最後まで美しくなければならないと思います。

「少肥適性樹勢栽培」とは、私の栽培の基本でもありますし、この言葉は今私が考えた造語です。いまなら、バランサーを使って樹勢をコントロールしながら、T/R比を適性化し、窒素は少なく微量要素とPHと土壌微生物を生かす栽培とでも説明するかもしれません。ただ、その頃は土壌に対する勉強が不足していましたし、根から上の考え方はこれで良いとしても単純に無肥料で良いはずはないと思っていました。

ちょうどその頃から土の中の蝉の幼虫時代が始まっていたのだと思います。日本でブドウ栽培する上で剪定から始まるキャノピーマネジメントは、他の果樹よりはるかに技術的に難しいことに変わりがありませんが、基本さえ出来ていれば最終的には土の影響が最も大きいと、当時はまだ思ってもいませんでした。

土の話をすると長くなるのでこの辺でお終いにしておきます。幼虫時代に土に潜っていたのでネタは尽きませんが。

規模拡大するには、技術を見直すということに着目してから、あっという間に15年の月日が流れていました。2007年あのワインが発売されるまでが蝉の幼虫時代だったと思っています。まさか自分がこうしてワイン用ブドウ栽培を指導する立場になるとは夢とも思っていませんでした。幼虫時代はそれなりに楽しく充実していましたし生食用ブドウ栽培でも高く評価していただいていました。でも、生食用は私以外にも道を開く人材もいそうですし、はっきり言って大空を飛べるようになった今が一番楽しいと思います。ただ、もともとセミだけに後どれだけ空を飛べるのかちょっと心配しています。(笑)

蝉 2

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 「幼虫として土の中でじっとしてる時、蝉はよもや自分が空を飛べるようになるとは思ってないんだろうなって。」

そんなわけで3年目で何とか剪定が出来るようになっていました。前年までに教科書通り剪定してある樹だけ剪定可能といわば限定免許を取得した状態でした。一年一年の積み重ねで剪定技術は向上していきました。

そんな時、知人の依頼で他人のブドウ園の剪定をする事になりました。今まで見た事のないような樹形で、唐傘作りの変形、主枝は確立されていなくて、古づるが大変なことになっているブドウ園でした。先輩のアドバイスを聞きながら剪定を進めようとしましたが、一向に作業が捗らないで気ばかり焦っていたのを覚えています。一体どうすればこういう樹形になってしまうのか不思議でたまりませんでした。それと同時に、基礎の大切さを改めて感じました。自分の畑だけで仕事をしていれば、こうした考えをすることもなかったでしょう。その経験は、私自身の技術向上には大いに役立ちました。
他人からお金をいただいて勉強させていただいた訳ですから、今では逆に感謝の気持ちで一杯です。その頃は、山梨県果樹園芸会のブドウ部の研修に出席をしながら、土屋長男先生などの著書を読み研鑽をつんでいました。「誘引」という言葉の意味も知らない初心者が「若手の農業青年」になるまで5年の歳月を要しました。

今まで質問ばかりしていた私に少しずつではありますが、質問されるというか意見を求められるようになってきました。その後、2年の派米研修を終え栽培の基本的なことはほぼ理解し実践できるようになっていました。約10年の月日が流れ自分なりに学んできた中で、どうしても克服しなければならない壁がありました。

それは「土」のことです。明確な方向性を示してくれる人は現れませんでした。その後の試行錯誤があったものの結果的には一定の考えに達するまで10年かかりました。一番難しいと言われる剪定が3年ですから、土への配慮がいかに難しいか想像できるでしょう。ブドウはあまり肥料がいらないが肥料をやる事で樹勢が強まり、その樹勢を落ち着かせるために樹冠を拡大し、拡大した樹勢を維持するために肥料をやるということに大きな疑問を持っていました。

何時頃だったのか、はっきりした記憶がありませんが「キングデラ」の視察で、あの土屋長男先生にお会いしお話を伺うことができました。それが最初で最後の出会いになってしまったのですが、私にとっては新たなスタートの日となりました。3へ続く


蝉 1

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ローリー寺西さんがラジオで話していたことですが、
心に強く残っていたのでご紹介します。
 
「幼虫として土の中でじっとしてる時、蝉はよもや自分が空を飛べるようになるとは思ってないんだろうなって。」

アメリカでの研修を終え、帰国してから経営規模を拡大しないと日本の農業は衰退すると確信していました。農業を取り巻く環境は30年前でも厳しく、オレンジ、牛肉の輸入自由化などの外圧と担い手の減少、高齢化問題はそのころから指摘されていました。年金問題と同じで少子高齢化と産業の空洞化はそのころから言われていました。ですから、若き農業青年が将来を真剣に考えれば経営規模の拡大以外に生き残りがないということも明白だったのです。当時も20代前半で就農する人は非常に少なかったし、農業を熱く語る若者として「農家」らしくないとよく言われたものでした。特に帰国後は、性格が変わったかのようにおしゃべりになっていたことも影響しているかもしれません。

将来的には、手間暇かける生食用ブドウ栽培の技術を見直さなければ難しいと考えました。当時はブドウ専業でしたから、安定した収益を上げるためには生食用ブドウの販売期間を長くする事と加工用(ワイン醸造用)の栽培面積をバランスよくしながら、規模拡大するのが良いと考えていました。
そのころ、普通に栽培することは習得していましたが今の技術水準を100%とすると当時の技術レベルは、まだ30%ぐらいだったと思います。それでも、毎日ブドウの事ばかり考えていました。分からない事、知らない事、不思議な事ばかりだったので楽しく学ぶことができましたし、「ブドウって、すげーなあ。」といつも思っていました。その栽培技術レベルに到達するのに、約3年でした。5年生の「ヒロハンブルグ」を親父の許可を得て初めて剪定したことを今でもはっきりと覚えています。

かなりの時間をかけて1本の若い樹を剪定した後で、親父に見てもらいました。
その時、親父は剪定した樹を見て全く修正もせず、ひとつの側枝を指差し、「だいたい良いと思うが、来年どういう風になってゆくかしっかり見ておけ。」と嬉しそうにそして、いつもより穏やかな口調で静かに言いました。その側枝の処理は、一番悩んだ所であり、正解かどうかその時は分かりませんでした。剪定した樹がその後が漠然としか浮かばなかったのです。おそらく、ベストではなくベターな選択だったと思い、もう一度自分で少し修正してみました。

剪定技術を習得するのには、最低3年がかかります。1年目は、剪定した樹形をしっかり覚えるだけで十分です。2年目は、その樹形の変化を見届け、前年の剪定の良し悪しや生育の状況を把握し剪定をします。3年目にその修正をするからです。初めて剪定した時は、胸がドキドキして興奮していましたし、目を閉じれば、その樹形がしっかりと頭に焼きついていました。あれから、30数年も経っていますが、あの時の「ヒロハンブルグ」の樹形は今でも頭の中に残っています。

その年は、結果枝の誘引、萌芽、芽欠き、新梢の誘引、摘房、房作り、摘粒、袋かけ、そして、収穫と一連の作業を一人でやりとげ、樹形の変化を観察していました。朝、仕事に出かけるといつもその樹を観察し一日の仕事が始まりました。まるで、恋人に会いにゆくかのように胸はいつもドキドキしていました。一年後、一回り大きくなった「ヒロハンブルグ」に本当の意味で再会した時が、剪定の季節でした。あの側枝の部分が、予想より太くなっていたことに素直に敗北感を感じました。先端は、負けてはいませんでしたが、第二主枝がやや強めになったいたようにも思いました。親父に剪定する前の樹形を見てもらい、アドバイスを受けた後、また一人で剪定を始めました。親父は「俺が教えなくても、ブドウの樹が教えてくれるよ。」と言ってその場を静かに立ち去りました。

今までブドウの栽培指導をしてきて、感じたことは1年目で一定の技術レベルに達しない人は、ブドウ栽培を諦めた方が良いということです。その適性がないということです。ブドウと関わる姿勢、その人の生き方も影響しますが、一年目にどれだけブドウの事を考える事が出来たかで決まると思います。
その点、甲州市の(株)〇isvinの荻〇っていう人なんか私と出会って1年目で、滅茶苦茶ブドウの事を考えていたと思います。そして、いまでも、私と同じくらい栽培で分からない事が一杯あるはずです。二人とも永遠に「栽培家」と名刺に肩書を入れませんが。

少なくとも栽培経験2年以内に基礎技術の習得つまり、剪定以外の結果枝の誘引、芽欠き、新梢の誘引が完璧にできなければ、将来、「妄想栽培家」にしかなれません。これは、技術レベル10%の所のお話です。中学一年生レベルと言うと中学生に失礼かもしれません。

お前何様のつもりでそんなことを断言するんだと言われるかもしれませんが、真剣にブドウ栽培に34年間取り組んできた経験からの考えです。詳しくは、プロフィールを参照してください。(笑) 2へ続く

栽培家とは

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栽培家とは、良い響きの言葉である。ブドウ農家とは、ワンランク上の肩書のような響きがある。

農業界では、一般的に栽培家という言葉は使わない。

あの奇跡のリンゴの木村さんもリンゴ農家であり、リンゴ栽培家という表現はされない。カリスマ農家が、お米やミカンや有機野菜を育てていてもカリスマ栽培家とは言わない。

日本では、ワイン醸造用ブドウ栽培農家のごく一部の人たちだけが使うことを許された肩書だと私は思う。

新規就農者の肩書に、「栽培家」とあれば違和感を覚える人が多いだろう。普通に「ブドウ農家」あるいは、「何々農園 園主」とか、敬意をこめて「百姓」といった肩書でいいのではないか。

そこで、私なりに「醸造家」に対する言葉として「栽培家」を規定してみたい。

・借地でもいいから自作のワイン醸造用ブドウ園を管理している。
(雇用されている人はそこで脱落。栽培担当者と名乗るべき。)
・自分の名前がエチケットに記載されている。
・原料ブドウがワインになる過程を確認している。
・そのワインの評価を「醸造家」とともに受け入れ、責任を明確にしている。
・良いワインを生産するために、より良いブドウを栽培を心がけている。
・回りから栽培家と呼ばれるようになるまでは、自分から栽培家を名乗らない。

こうした事をクリアして、名刺に「栽培家」と入れて欲しい。
それ以外の人は、「栽培家見習い」がふさわしいと思う。

たとえば「栽培家」の道を目指すという表現をした時点で、その適性がない事を証明している。

私は名刺に、「栽培家」という肩書を使った事がないし、今後も使わないだろう。
「ブドウ栽培コンサルタント」とあったが今はそれも表記していない。

それでもブドウ農家から「栽培家」が少しでも増えることを切望する。
 

2012年は、転換期

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 特に甲州種は、品質が高く収量も多かった。
こうしたヴィンテージに生産量が増えたのは、歴史上初めてのことだろう。

良い年のブドウは、生食として流通しワイン生産量が減り、
品質の悪い年は、逆にワイン生産量が増えていた。
甲州種が生食としての地位が薄れ、ワイン用の需要が増えた事が、その一因である。

ワイナリー側とすると予想以上に搾る量が増えたので、今後の販売で躓くようなことがあれば
経営体力は落ちてしまう。
2012年産のワインが多くの人に呑まれ、評価されれば更なるステージに立てることだろう。

「良いブドウ」の持つ大いなる力を知ることで、より栽培に力が入ることを期待する。

今年の少雨猛暑下でも、高品質のブドウが生産された事は、今後に大きな影響を与えるだろう。
気象分析をし、どうして良かったのかを検証する必要がある。
登熟などブドウの状態が昨年は、「平年以下」であったことも、影響していると私は思っている。


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